キリスト教政治の会

右でもない左でもない、キリスト教信者たちに伝える政治の話です。

菅内閣に期待する事と学術会議が為すべき事

今日本の国会で野党が追求している事は学術会議の事ばかりが大事な事のようである。
もう国民の関心はそこにはない。
自分たちの生活が今後どうなるのかが心配でならない。
以前にも言っていたように菅内閣に期待する事は山積みである。デヂタルによる行政改革は早速抵抗勢力が出来たようだが焦らず着実に前に進めて欲しい。どうも二階氏が足を引っ張っているようだが大丈夫なのか。
日本の経済成長に欠かせない事が再生エネルギーの分野での改革ではなかろうか。
政府は送電線の複線化を進めているがそれも大事だ
再生電力は送電線を別にして送ればコントロールしやすい。風力発電も太陽熱発電も、地熱発電バイオマス発電、まだまだ出てくるかもしれない。そのためになる研究を学術会議は頑張って欲しい。
海抵の水圧を使って発電設備が出来ないものか。

実は海洋の風力発電の分野に外資系が目をつけているらしい。スペインのシーメンスガメサ、リニューアルブルエナジーである。その分野では世界第2の会社が日本に可能性を見出だし動き出した。

又太陽熱発電のパネル生産大手である中国企業が日本市場を着々と奪っている。生産コストにおいて日本企業はいづれも歯が立たないのだ。
今のうちに政府はそれらの分野に投資をして日本企業を後押しすべきである。

菅内閣に期する事と学術会議が為すべき事

今日本の国会で野党が追求している事は学術会議の事ばかりが大事な事のようである。
もう国民の関心はそこにはない。
自分たちの生活が今後どうなるのかが心配でならない。
以前にも言っていたように菅内閣に期待する事は山積みである。デヂタルによる行政改革は早速抵抗勢力が出来たようだが焦らず着実に前に進めて欲しい。どうも二階氏が足を引っ張っているようだが大丈夫なのか。
日本の経済成長に欠かせない事が再生エネルギーの分野での改革ではなかろうか。
政府は送電線の複線化を進めているがそれも大事だ
再生電力は送電線を別にして送ればコントロールしやすい。風力発電も太陽熱発電も、地熱発電バイオマス発電、まだまだ出てくるかもしれない。そのためになる研究を学術会議は頑張って欲しい。
海抵の水圧を使って発電設備が出来ないものか。

実は海洋の風力発電の分野に外資系が目をつけているらしい。スペインのシーメンスガメサ、リニューアルブルエナジーである。その分野では世界第2の会社が日本に可能性を見出だし動き出した。

又太陽熱発電のパネル生産大手である中国企業が日本市場を着々と奪っている。生産コストにおいて日本企業はいづれも歯が立たないのだ。
今のうちに政府はそれらの分野に投資をして日本企業を後押しすべきである。

石破派の混乱に見る日本自民党政治の変質。

菅内閣が発足して1ヶ月あまりになる。
所信表明演説をよく読んでみると、幅広く今後の政策目標がまんべんなく語られている。しかし内容はこれまで政府が取りかかって来たことが多いように思う。それ故新鮮味がなく味気ない印象を与えたのだと思う。
しかしどれもこれも早急に解決するべき事ばかりである。行政の電子化しかりあまりにも遅すぎる。
エネルギー政策にしても世界の先進国つまりヨーロッパの国々に比べて遅い。アメリカの方ばかり見ている結果だろう。アメリカの諸事情と日本とは国の大きさが違う、むしろヨーロッパ諸国が近い。

彼らは極端な脱原発は言わないが非常に現実的にそれを進めている。法の改正のスピードが早い。

日本に必要なことは国会審議のスピード化である。

そして行政のスピード化である。

それなくして菅内閣の政策は実現不可能である。

今の自民党は理念がない。どんな国を目指しているのかをよく議論していないように思う。60年代又中曽根さんの時代まではそれがあった。以後バブル崩壊以後の政治は理念なき政治になった。権力闘争の場に変質した。国民は感じているのだ。
政治の混乱は国民の混乱につながる。

政治家は国の未来はを示して欲しい。それも現実を見据えて、進めて欲しい。

石破派の混乱は他派の未来でもある。

ポンペオ米国務長官の発言に感じる安保体制の新しい夜明け

10月7日の日本経済新聞の大一面に米国務長官ポンペオ氏がインタビューに答えていわく、
今後のアジアにおける自由主義を重んじる国々に
新しい安保体制の構築を提案した。
日本、アメリカ、オーストラリア、インドが主軸となり自由主義国家のアジアにおける結束を呼びかけた。
冷戦時代から現在に至るまで、アジアにおける自由主義国家の安全性は完全に圧倒的な米国の軍事力に頼っている。しかし今は相対的に米国の軍事力に陰りが見えてきた。中国の軍事力が米国のそれに迫っているのだ。世界中で戦略を展開している米国はもはや絶対的抑止力の存在者ではない。

そこで基本的に各国は自主防衛に基軸をおき
アジアの平和に関しては連合を求められる時代になったということである。

私がかなり以前の記事で主張している。

時代は確実に動いている。
日米安保体制の転換が迫られている。

菅内閣は日本を変える事ができるか。

長期に渡った安倍政権に代わり菅内閣がスタートした。
菅首相はあらゆる分野における改革を旗印に掲げる、中でも今早急に必要なことは官庁の事務処理をディジタル化を進めようとしている。
この事は重要である。
私はこの事についての記事を以前にも書いたのだが
日本は先進国のみならずアジアの国々よりはるかに遅れているのがIT 教育だと言った。遅蒔きながらも小学校においてパソコンを使っての教育が始まってはいるものの高等教育においてのそれは僅かである。やっと筑波大学の付属で本格的にプログラミングの教育がなされているようだがそれでは足りない
もっと多くの大学あるいは高等専門学校においてプログラミング及びハッキングの研究をすべきである。

何処かの国々を標的にしょうと言っているわけではない、我が国の様々な組織のコンピューターを他国からのハッキングから守る研究の事である。

数学と理科、物理科は今後の日本を決定する教育である。

学門においての国際化が急がれる。
英語を話せる理系の学生を育てなければ日本の未来はない。

在学中に最低3年間の英語圏で学ぶ必要もあるだろう。
勿論国費でやるべきだ。

さらに彼らを各省庁に送り込みそれでやっと役所のペーパーレス化が達成されるだろう。
今の役所は英語が話せない上パソコンもろくに使えない上司が居る限り改革は難しい。思いきった事をしなければ抵抗は強いだろう。

日本女性の社会進出と地位について。

今日本では与党自民党の総裁選びが一段落して国会での次期総理の承認を待つことなった。
国会議員の数では圧倒的に自民党が大勢を占めているので、間違いなく自民党総裁が次期総理に正式に選ばれるだろう。つまり次期総理は菅氏になる。

自民党内での代表選びについては多くの国民は関心がない、が一国の総理大臣が誰になるかは関心があると思う。事実マスコミは総裁候補について連日報道している。ただし各候補者の政策の違いについてどれだけ強調して報道しているのか問題がある。
つまり国民は政策の違いには関心がなく、各候補者のバックグラウンド性格に関心があるようだ。

つまり国民は与党自民党自体に頼らずを得ないわけだ。私はここに日本国民の政治意識の未熟を感じるのだ。
本来なら真の民主主義国家ならば官僚達に政策を任せるだけではなく、国民の側から積極的に政策の提案と運動があって然るべきではないか?
野党は大抵の場合自民党提案に反対するばかりが目立ち積極的提案が国民に理解されていない。

アメリカには多くのシンクタンクと言われる民間の政策集団がいくつも存在している。その中でも民主党系と共和党系に分ける事ができる。彼らは各大学の研究機関である場合も少なくない。

日本の大学もその様な政策研究機関を発展させるべきである。

今の自治法は積極的に市民の声を聞いて政策及び予算配分に反映するように決められているのだから市民は市政にも関心を持ち代表である市会議員に伝えていくべきだ。
そうしてこそ日本に真の民主主義が育つだろう

その中で女性の政治意識が大切になる。
日本の女性の政治意識は非常に低い。
大学進学は男性に劣らず高いのだが男性依存率が高い。結婚相手に要求する基準が高学歴高所得をまず先に求める傾向が強い。つまりそれは結婚とはその様な男性に依存して生きることを意味する。

真の結婚とは違うはずである。一度結婚してみるといかに依存し合う事が問題を引き起こすかがわかる。
つまり女性に自立心があってはじめて男女平等が成り立っ事がわかってくる。
そして社会においてもその様な女性を必要としている。 そうして政治の分野にもっと女性が増えるだろう。

今の時代はヨハネの黙示録の患難時代

新型コロナの猛威が収まりそうにない。
いつまで続くのか誰にもわからない。
やっとワクチンが投与され始まり少しだけ見通しが立って来たように感じられる。しかしその安全性がまだ確認されておらず投与を受ける側の人は勇気が必要であるようだ。

それにしても世界的にも影響が大きく、とくに経済活動に対するそれは大きくて、各国で政府の財政出動が大きくて国民の負担が今後増えるだろう。

日本も何らかの増税が強いられる事になろう。

今後数年に渡り世界中で想像だにしなかった災害が続く可能性がある。何故なら黙示録には新しい天地が生まれるまでに7年間の患難時代があるという。

何故ならその事をとうして人びとが何が神の前に善で何が悪い事なのかを考える必要があり、悔い改めさせる為にあるようだ。
その先にあるのは救いであり希望である。

事実日本も変わりつつある。何がそれは人の生きる価値観が物に頼らず、内面性つまり心の有り様で幸せを求める人が増えてきた。
勿論皆がそうではなく世の中が混沌のなかでもしっかりと自分の生き方をして内面性を高める人が増えて行くということである。

その事が神の裁きということである。神を信じて御心にそう生き方の事である。