キリスト教政治の会

右でもない左でもない、キリスト教信者たちに伝える政治の話です。

2022年1月3日

長らくコロナ禍にあって、日本経済の停滞と共に政治の混乱が続いた
この2年間であった。
その間世界的規模に視点を移すならば、あれよあれよと思う余裕も無く
あらゆる分野において革新が進んでしまった。

欧州における移民政策の分断そして
エネルギー政策における各国の違い、そしてコロナウィルスによってもたらされた経済的混乱の中で
感染防止対策の違いなどをあぶり出す事となった。

そしてその中で益々広がる所得格差に対する不満が世界中に蔓延した。

追い討ちをかける様に、地球温暖化に対するカーボンゼロ運動の高まりは益々激しくなり、それに対応出来ない企業は世界の経済活動から締め出されるほどの勢いだ。
人類史において今の時代ほど生きる価値観の見直しを人類一人一人に迫られている時代はなかった。

まさに全人類が生き残りをかけた闘いと混乱の時代を迎えた。

そんな中にあって私が危惧する事は、地球温暖化対策運動を利用して資本主義経済の終末論を掲げマルクス主義共産主義を啓蒙する輩が現れた事である。
彼らに上手く騙されてはならない。
最もな理屈を並べて、資本主義の終末を説いている。たとえば日本では

斉藤幸平の 人新世の資本論 である。

今の時代に生きる知恵。

コロナ禍が始まって一年と半年になるけれど
いっこうに治まりそうにない。この間に多くの人々が仕事を失い、又家族の中にも犠牲者を出された方々もおられることでしょう。
仮にそうでなくても自宅での仕事を強いられて
家族に気を使いながらの在宅ワークは大変な事だと思う。
なかには子供たちと遊んでやる時間が増えて良かったという人もいるだろうが多くの人々はストレスを感じながらの毎日だろうと察します。

さて、世界は間違いなく新しい方向に向かって
急速に舵をきり突き進んでいるようだ。
地球温暖化対策という化け物が世界を引っ張っているようだ。
そのために各国は対策を強いられている。
エネルギー政策の大転換である。この事は考えようによってはチャンスであり、又発展途上国にとっては大変な負担にもなり、結局のところ経済大国が有利に事が進んで行く仕組みだ。
中国、ヨーロッパでも政策を柔軟に転換できる国がこの事を牽引している。
逆に政治に決定権のないイギリス、日本などは遅れてしまう。
アメリカに代表される大統領制をとる国が政策の転換は速いと言えよう。

さて我が国は遅い牛のようにゆっくりと物事が進んで行く仕組みになっている。
したがって国民には忍耐が必要であるようだ。

今やその忍耐が切れそうに、さまざまな分野で
悲鳴が聞こえて来るのだ。

まさに忍耐の極みである。
若年者の自殺が増えている。
将来に対する漠然とした不安がそうさせるのか、経済の回復の見通しもないままオリンピック開催へと突き進んでいる菅政権である。

こんな不安を感じながら人はどう生きるべきか?
その答えは古いようでもかって生きて人々に希望を与える知恵を残してくれた聖人と呼ばれた方、
仏陀やイエスキリストに学ぶのが良い。
仏陀は悟りの境地こそ絶対なる平安の道であると説き真理を知ることが肝要だという、

エスキリストも同じく私を信じてしたがって来るなら聖霊によって平安が与えられる。と言われた時からキリスト教の歴史が始まった。
私はそんなイエスを信じて生きてしあわせを感じる。
不安とは絶対なる存在たる神様から離れている状況が不安な心の状態である。
ならば、やはり人は命の根源である神に帰ろう。

人権とは何かが解らない日本の政治家

中国政府によるウイグル自治区の住民に対する迫害と圧政が酷い。
以前から激しい抵抗運動を続けていた人々を、今では、数百万人が強制収用施設に入れられて
自由を奪われ、強制労働によってあらゆる製品を造らされているらしい。
彼らの身体に関わる情報を集めて臓器移植に使われているとの情報もある。
アメリカのCIAなどは正確な情報を掴んでいるはずであり、故に今回の中国に対する制裁を発動しようとしている。
欧州もそれに同調するようだ。
彼らには人権に対する確固たる定義がある。
それはキリスト教である。
その事が特に宗教弾圧に対し厳しい。
宗教の自由は民主主義の根本であり、その事をないがしろにする中国政府に対する不信感は根強い。
我が国の国民は人権に対する考えが理解できない。異質な者に対する差別が現実に存在するからだ。外国人に対する差別意識が依然としてある。
アジア人に対する優越意識を解決しなければ真の人権国家とはなり得ない。
移民を受け入れて少子化を解決できないのも同じ考えがあるからだ。
さて菅首相はこの事をどれ程深刻に捉えているだろうか?

世界の指導者たちと対話するなら経済優先の考えでは通用しないだろう。
中国政府の指導者たちははるかにしたたかである。ニコニコするだけでは外交はなし得ない。

原則は民主主義を守る事と人権の理解のない国とのお付き合いはあり得ないのだ。

災害時に活躍するシステム構築を急げ。

今日の日経新聞の記事に感心した事があった。
日産自動車が電気自動車に使われた使用済み電池を再利用するために、回収してビル用又は家庭用に供給するサービスを考えているらしい。
これこそがこれからの時代にふさわしいビジネスになるだろう。何でもEV電池は10年が限度で
その後は能率が7割程度に落ちるとのこと、ならば再利用先として災害にあって電気の供給が途絶えた地域を救うために役に立てて頂きたいものだ。何でも一般家庭なら4日分の電気量を賄えるらしい。
避難所に使っても良いし、何かしらの役に立てて頂きたい。
日本は水害、地震と頻ぱんにありその度々に何日も電気、水道が止まり皆が苦労される。
その時に備えて各自治体は万全の準備をしてほしい 。

五輪開催は是か否か?

いよいよ五輪開催予定の年が始まり、日増しに五輪開催に関わる記事が多くなってきた。
日本政府も日本のIOC の関係者は何が何でも開催する意向を示している。
しかし、世論調査では無観客ならやらないで良い。
コロナ感染が拡大する一方にあってその気にならないのが多くの国民の心境であろう。
それが80%以上が否である理由であろう。

政府の方針を支持する学者は夏までにはコロナの感染力は弱まって行くという、それが根拠で五輪関係者は強気であろう。

アスリートの為と言いながら何としても開催したい理由で最も大きいのがせっかく何兆円を注ぎ込んで用意した五輪関係の施設が元を取れない事への焦りであろう。
周辺経済にあたるホテルも倒産の危機に瀕している。
また観光客を期待している地方の経済も含めて日本中に影響があるだろう。
だからといって何が何でも開催することが世界中の国民から支持されるかどうか。
オリンピックとは平和の祭典と言われてきた。だから、世界大戦の期間中は中止になった。
だから、今は世界中がコロナと戦っている最中でありとても平和とは言えない時期にあって五輪を開催する根拠がない。
世界中が祝福する五輪にするために、世界中がコロナに打ち勝った時が最も良い時期となる。

そのために少なくとも3年以後の五輪開催が妥当である。

もう一回のクリスマスデー

今日一月6日は東方教会におけるイエスキリストの誕生日を祝うクリスマスです。
何故カトリック東方教会すなわちギリシャ正教会ではキリストの誕生日が違うの?という理由には
長い説明が必要であるが結論から言えば教会が分裂したからである。

エスキリストの使徒パウロは伝道旅行を小アジアからはじめて、コリント今のギリシャの方へ足を伸ばして行ったのです。当時の小アジアと呼ばれた地域は今トルコと呼ばれるところです。トルコの東の彼方にはインドがあります。
その小アジアにはすでにゾロアスター教がありました。この宗教はインドのヒンズー教に影響を与えたと言われ、ユダヤ教で言う神と悪魔の善悪二元論の宗教であり、キリスト教を受け入れる素地がありました。
そして直ぐに多くの教会が建てられました。
当時の世界と言われるところは、まず最初の文明が生まれたところバビロニアから西へ小アジアからマケドニア、此処からアレキサンダーがでてエジプトまで、そしてギリシャ全域今のイタリア半島までが文明のある国家としてまとまっている地域でした。
アレキサンダーの死後に興隆して来たのがローマ帝国です。
ローマ人は初めイタリアの北部フランスに近いところに住んでいました。その地域は平原で住みやすいところでしたがより海に近いローマに移動しました。平原の事をラテンと呼ばれたのでラテン人です。こうしてローマに移動したラテン人は都市国家として栄えました。海に近いことは交易が栄えるところです。当時の世界は地中海の沿岸を渡りながら交易で成り立っていました。
ですからそこに都市国家がいくつも出来るのです。

アレキサンダーの築いた帝国をそのまま受け継いだ
ローマ帝国ギリシャ語を共通語としていましたからギリシャ語を話せるパウロには好都合です。
しかもパウロローマ市民権をもっているので世界中何処にでも自由に旅が出来ました。当時のローマ市民権は絶大なものであり、ローマ皇帝に直訴が出来ました。だからユダヤ人たちと揉め事になった時自分をローマ皇帝の前に連れていけと言うことが出来ました。
そしてパウロはローマに近いところから伝道したのでラテン人の中にもあるいは最初は兵士達からキリスト教が広められたかもしれない。

当時のローマ人は数が少なく兵士はローマ帝国全域から傭兵として集めていました。彼らの中から優秀なリーダーにはローマ市民権を与え帝国に忠誠心を誓わせました。
しかし彼らは遠く故郷を離れてローマに居て心ぼそかったでしょう。そんな彼らにキリスト教は新鮮な良い信仰として受け入れられたのです。
そして彼らが出世して行くにしたがってどうにもキリスト教を認めなければまとまりがつかなくなり、ついに皇帝コンタンチヌスが国教として正式に承認しました。
これがローマ帝国が東方に置かれた由縁です。
コンタンチノープルです。
さて時は流れて、ギリシャ語を話せる人が少なくなるとローマ人はラテン語を共通語にしました。此処からローマ帝国の分裂が始まります。

さてやっと本題のクリスマスデーの違いですが
西のローマ人の冬の祭りで冬至の祭りがキリストの復活と結び付いて冬至の日をキリストの誕生日にしたと言うことです。
一方東方教会つまり小アジアの帝国はおそらくは正しいと思われる1月6日をキリストの誕生日として祝うのです。
しかしながらユダヤ人はユダヤ曆を用いていますので
今でもユダヤ人の祭日は毎年変わります。
つまりローマのクリスマスデーも東方教会のクリスマスデーも正確ではないということで引き分けです。大事なことはキリストの誕生日として祝うことでです。アーメン

イエスキリストの生涯

クリスマスまでちょうど1ヶ月です。
今日私はずっと考えていたことがありました。
それはイエスが世に出たのが何故30才の時なのか、何故それまで知られていなかったのだろうか。

私はそんな事が気になって仕方ないのです。
何故20才ではなかったのか?
それまでイエス様は何をして過ごされたのだろうか。
エスキリストは山上での教えのなかでそれまでの教え、すなわち旧約聖書の教えを基礎にしてさらに厳しい教えを説いておられる。

心の貧しい者は幸いである。
(意味は 謙虚な人は祝福があるということである)
悲しむ者は幸いである。その人たちは慰められるからである
(意味は神様から慰められるということである)
柔和な者は幸いである。その人たちは地を受け継ぐから。
(いつの世においても心の広い人格者は多くの人びとを惹き付けリーダーになります)

義に飢え乾く人は幸いである。その人たちは満ち足りるから。
(神の国は正義に満ちたところです)

憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを受けるから。
(これは慈悲の心とも。慈愛とも訳せます)

心のきよいひとは幸いである。その人たちは神を見るから。
(いつの世においても清い心は神に愛されるのです。)
平和をつくる人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれるから。
(家庭でも地域においても国の政治においても万民の益になる判断ができる人は神の恵みがあります。)
義のために迫害されている人は幸いである。天の御国はその人たちのものです。
(信仰のゆえに迫害されている人。正義のゆえに迫害されている人は永遠の世界において神の元に集まるのです。)

私のために人びとがあなた方を罵り、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせる時、あなた方は幸いである。
(そのような事があれば必ずや多くの恵みがあります)

エスキリストは初めにおいてこのような説教から人びとに希望を与えたのです。

エスは幼少の頃すでに天才的に物事を見る目をもっておられ、あらゆる分野の人びとに交わり語り合い知恵に優れた人であったようです。
多分大工としても一流であったにちがいないでしょう。
疑問に思うのは12才から以後の30才でデビューするまでの期間の記録がない事です。
私の推測では、多分イエスは長男で兄弟が多くいましたから、一生懸命働いて家族の面倒を見ていたに違いありません。でなければ  モーセの律法の父母を敬いなさいという言葉を引用しないはずです。
そして弟達が成長したのを見届けて、一人旅に出て多くの知識人と語り合い、文化とギリシャあるいはインドにまで足を伸ばしてあらゆる宗教文化と出会い、特にユダヤ教の知識は徹底して学ばれたとおもう。

そして洗礼ヨハネの活動を見届けて会いに行ったと思います。その出会いまで10年間祈りによって救い主としての準備をしておられた事でしょう。でなければ僅か3年間の公的活動期間で十字架における死をもっての結末に至る事はなかったでしょう。

エスの生涯は神と人に仕えられた一生だったのです。12月25日はイエス様の誕生日です。2千年たち益々その救いは多くの人に必要です。いや全ての人びとに必要なものです。