キリスト教政治の会

右でもない左でもない、キリスト教信者たちに伝える政治の話です。

イエスキリストの生涯

クリスマスまでちょうど1ヶ月です。
今日私はずっと考えていたことがありました。
それはイエスが世に出たのが何故30才の時なのか、何故それまで知られていなかったのだろうか。

私はそんな事が気になって仕方ないのです。
何故20才ではなかったのか?
それまでイエス様は何をして過ごされたのだろうか。
エスキリストは山上での教えのなかでそれまでの教え、すなわち旧約聖書の教えを基礎にしてさらに厳しい教えを説いておられる。

心の貧しい者は幸いである。
(意味は 謙虚な人は祝福があるということである)
悲しむ者は幸いである。その人たちは慰められるからである
(意味は神様から慰められるということである)
柔和な者は幸いである。その人たちは地を受け継ぐから。
(いつの世においても心の広い人格者は多くの人びとを惹き付けリーダーになります)

義に飢え乾く人は幸いである。その人たちは満ち足りるから。
(神の国は正義に満ちたところです)

憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを受けるから。
(これは慈悲の心とも。慈愛とも訳せます)

心のきよいひとは幸いである。その人たちは神を見るから。
(いつの世においても清い心は神に愛されるのです。)
平和をつくる人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれるから。
(家庭でも地域においても国の政治においても万民の益になる判断ができる人は神の恵みがあります。)
義のために迫害されている人は幸いである。天の御国はその人たちのものです。
(信仰のゆえに迫害されている人。正義のゆえに迫害されている人は永遠の世界において神の元に集まるのです。)

私のために人びとがあなた方を罵り、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせる時、あなた方は幸いである。
(そのような事があれば必ずや多くの恵みがあります)

エスキリストは初めにおいてこのような説教から人びとに希望を与えたのです。

エスは幼少の頃すでに天才的に物事を見る目をもっておられ、あらゆる分野の人びとに交わり語り合い知恵に優れた人であったようです。
多分大工としても一流であったにちがいないでしょう。
疑問に思うのは12才から以後の30才でデビューするまでの期間の記録がない事です。
私の推測では、多分イエスは長男で兄弟が多くいましたから、一生懸命働いて家族の面倒を見ていたに違いありません。でなければ  モーセの律法の父母を敬いなさいという言葉を引用しないはずです。
そして弟達が成長したのを見届けて、一人旅に出て多くの知識人と語り合い、文化とギリシャあるいはインドにまで足を伸ばしてあらゆる宗教文化と出会い、特にユダヤ教の知識は徹底して学ばれたとおもう。

そして洗礼ヨハネの活動を見届けて会いに行ったと思います。その出会いまで10年間祈りによって救い主としての準備をしておられた事でしょう。でなければ僅か3年間の公的活動期間で十字架における死をもっての結末に至る事はなかったでしょう。

エスの生涯は神と人に仕えられた一生だったのです。12月25日はイエス様の誕生日です。2千年たち益々その救いは多くの人に必要です。いや全ての人びとに必要なものです。