キリスト教政治の会

右でもない左でもない、キリスト教信者たちに伝える政治の話です。

貧困なのは自己責任の結果なのかの議論

自分、あるいは彼らが貧困なのは自己責任の結果なのかという議論がある。
私はこの問いかけに対し100イエスともノウとも
言えない。確かに今の日本では中学はもちろん
高校に行くのもほぼ100%可能だし、意欲があれば
大学にも行くのも難しくはない時代である。
それくらい皆教育の機会は平等になりつつある。

だからといって皆が豊かな暮らしができる事とは
関係のない話である。何故なら格差が生まれる
のは全く別の理由があるからである。

格差は社会構造の中にすでに組み込まれているからである。
例えば分かりやすい話。全て人が100万円持って
カジノに行ったとしよう、全ての人が大儲けできる訳ではないだろう。中には100倍儲けて帰る人がいるかもしれない。ある人、いや、たぶんほとんどの人が全てを失って帰ることになるはずである。

同じ事がこの社会全体に起きているのた。
無事に大学を卒業したとしても皆が同じレベルだとすれば、だれかがわりに合わない仕事をしなければ
ならないのだ。また会社に入れば給料に格差が生まれる。資本主義経済の中ではよりよいものそして
より安いコストで製品を創る会社が生き延びる。
それは国内のみならずグローバルな領域で同じ
原理が働いているのである。

親会社は下請け会社に安いコストを要求し、
小企業はストレスの中にあって安い賃金を要求せざる得ない。
それがグローバルな競争世界の現実がある。
問題はどこかに経済的利潤が集まりそれが
そうでないところに還元されない事である。

それをやるのが政治の役割と思う。
よって豊かな人の言う貧乏自己責任論は間違いです。
神は豊かな人にもそうでない人にも等しく恵みと祝福を与えてくださるのだ。