キリスト教政治の会

右でもない左でもない、キリスト教信者たちに伝える政治の話です。

迷走する日本の教育制度

やはりと言わざるを得ない結果となった大学入試の英語検定試験の事である。
様々な分野からの不安の声が有りながら、文部科学省の独断の結果が凶と出た。
一からやり直しである。
誰しも日本人には世界で通じる英語教育が必要であると思っている。しかしながら現状の教育制度の中に無理やり組み込ませようとしているように見える。
あくまでも大学受験の為の英語教育をしようとするから間違いが起きるのだ。
頭の古い官僚の考える事である。
世界は今凄まじい勢いで変動しているのだ。
日本は置いてきぼりになろうとしているのだ。
メディアは日本のすばらしい風景と文化の自慢話ばかりである。
いいね、いいねの合唱はもう飽きる頃であろう。
愛国者をよそうのはもう止めよう。事教育に関しては深刻な事態である。教師の劣化だけではない。
制度そのものを考え直そうではないか。

日本の教育はすべての人が同じ考え、同じ程度の人間を期待するのが問題なのだ。
人は生まれながらにして持っている神様からのギフトが異なり、それぞれの才能がある。
その事に気づくのは自分自身なのだ。
その為の教育の機会と思えば良い。その為にはなるべく早い時期に具体的な目標を持って勉強する事が大事になってくる。自分の好きな科目なら一所懸命になれるから。
もちろん目標を目指すと言う事は一科目だけ勉強すれば良いと言うわけではない。人生はそんなに単純なものではないから、人格形成の為あらゆる教養が大事であろう。
しかしその事と人間関係のバランスとは違う事である。人間関係がうまくいくかどうかは家庭における親子関係が影響するからである。
父母が信頼できる関係なら人生における良い支えになれるだろう。
豊かな感性を養う事ができるであろう。
尊敬する人を見つける事も良い目標になる。

決して大学入試の為の教育であってはならないのだ。その先を見通した教育が大事と言うのである。

日本が遅れているのは英語教育である。ならばその為の環境を整えてやろうと社会全体で考えて行こう。メディアももっと幼児向けの英語のプログラムを工夫すべきだ。
今の日本には外国人が何処にでも住んでいる。英語圏からの人達を家庭教師に雇って週に一度一時間でも良い会話すれば良い。
ついでに夕食を共にすれば親にとっても楽しい英語教育になる。

そしてI T人材については、早くから例えば高校からでも国立の専門学校を創る事である。全寮制でそのまま大学まで進めるエリート校を創るのだ。英語で全ての授業を行いその為の費用は全て国費を使っても良い。
そこまでやらなけれは中国やアメリカについて行く事は出来ないだろう。