キリスト教政治の会

右でもない左でもない、キリスト教信者たちに伝える政治の話です。

介護問題その2

再び介護問題を取り上げる事になる。
何故ならばこの事が教育に関するあらゆる問題と共に現代社会の複雑に絡み合った糸のように、日本の政治を難しくしているのだ。
教育が未来の社会を創る根本だとすれば、介護問題は人生における幕切れに近いドラマで言えば最終章である。それまでの生き方を否応なしに振り返る事になるのだ。

その時に置かれている環境が良いものなのか、不幸なものなのかを感じる事になる。
介護される側のみならず介護する側の人生をも
深く関わって来る。
それが家族によるものであり、又は施設における
介護する側であろうとあまりにも解決しなければ
ならない事が多くある。老母老父を自宅介護する為にもっとも活躍できる年代に仕事を止めて、その後再就職しようにも正社員の職にありつける人は稀である。そこから貧困生活が始まる人が少なくない。
施設に預けたにせよ経済的支援を必要とする人もいる。

多くの人が、生活保護を受けている人々は得しているというけれど、彼らには彼らなりの多くの訳が存在するのだ。一概に放蕩の果ての結果のみではないのだ。30だい40代に起業して成功しなかった人もいる。彼らは当時の経済的成長を支えた人であり、
勝ち組だけが社会に貢献した訳ではないのだ。
勝者は敗者がいるから勝者であり得るのだ。

そこを忘れてはいけない。
劣る人も優れた人も参加して初めて競争が成り立っはずだ。
世の中努力だけでは成功できないのだ。
持って生まれた才能と多くの人に助けられての成功であろう。だから経営者は謙虚でなければならない。

さて介護の話に戻るけれど、施設で働く人々がいかに低賃金で働いて、しかも重い入居者を動かす為
腰痛で離職するらしい。
最も離職率の高い職場のひとつである。そんな過酷な仕事に携わる人々の多くが低所得家庭でもある。
今の日本はそんな人々に支えられて成り立っている。
特養でも介護付きホームにしても介護報酬制度による点数制による経営収入の為無駄なサービスが多くその事が多くの人を受け入れ、しかも人材が足りない原因にもなっている。
そしてストレスの多くが老人のわがままでもあるらしい。受けて当たり前と考えている老人が多くわがままでもあり、又痴ほう症があるとさらに手がかかる。決して幸せな施設人生ではないのだ。
この事を解決せずに介護業界の改革はないのだ。
彼らの幸せな老後と介護する人達の人権と幸せの為

この問題解決の為政治に期待せざる得ない。

ひとつの解決策として現在40才になると払う介護保険を23才にあるいは就業した時点から納め始める
事だ。すればかなり介護保険に余裕が生まれ賃金引き上げに期待できる。介護報酬制度と働く人々の給料は別会計にすべきだ。