キリスト教政治の会

右でもない左でもない、キリスト教信者たちに伝える政治の話です。

差別の根源について

差別という言葉は幅広い。
差別意識と社会的差別とは原因と結果のようなものですが、差別意識とは人間の持っている比較能力が根源であり、誤った考え方に影響されて他を攻撃する行為が社会的問題として現れてくるのである。
それが社会的差別となってくる。

人間の持っている比較能力はより良いものを創造しようとする力になり社会の発展につながって行く。
しかし異質なものを排除する行為は自己防衛本能が過剰に現れてくると他を攻撃する事になる。

そこには自己の弱さの現れとして、寛容な心を持っ事が出来ない人がいる。

日本社会にいつ頃から存在していたのかわからないのが特殊部落の人々は確かに差別されそれが原因で貧困であり社会で生きづらいのである。
そういう集団が生まれた原因は様々あると言われている。政治的敗北者であったり、朝鮮半島から戦争の敗者として、特殊な技術者集団として連れて来られた人々、彼らは言葉の問題で集団で生きる必要があった。当然土地を持っ事が出来ないので物づくりで生計を立てる事になる。
又、平安時代に公家と武士の分離が進み武士の武具には鹿の皮が欠かせなかった。その皮を調達するためには動物を殺し血を流さす、その行為が公家には汚れたものとして排除された。
 これがケガレの思想である。殺されたものの不吉な因縁が乗り移る事を嫌い恐れから神道的お祓いの儀式が生まれた。

穢多非人はここから生まれたようです。職業的差別です。
彼らの集団に後から社会的犯罪者も隠れる目的で加わった人もいたらしいけど最もらしい話ではあるが、逆に差別を受けて傷ついた者が攻撃的に犯罪者になることが多いのであろう。

いかなる被差別者を生むのは差別意識のある側であり、誤った考え方によって行われるのです。
人間の持っている傲慢と自己中心の考え方がそうさせるのです。

エスキリストは傲慢な律法学者から差別され非難され殺されました。しかし彼らの罪を許してくださいと神に向かって叫びながら息絶えたのです。そこからキリスト教は始まりました。