キリスト教政治の会

右でもない左でもない、キリスト教信者たちに伝える政治の話です。

父と娘の関係、名古屋高裁の判決

名古屋高裁は正しい判決を下した。名古屋地方裁判所が昨年無罪の判決を下したものをくつがえしての判決である。父親は有罪となった。
実の父に幼児の頃から性的な虐待を繰り返され
、19才になるまでそれが続いたのである。そして娘は父を訴えた。そして多くの性被害にあった女性達の抗議の声が大きくなり、結果の逆転判決である。
家庭内における性的虐待は世界中に蔓延しているが
日本ではますますその事が明るみになり、社会問題となりつつある。

性の問題は人間が創造されて、最初に犯した神への
反逆行為である。アダムとイブに代表されたカップルが成長して最初に受けた試練であり、最も重要な愛の試練であり、乗り越えた先に希望に溢れた社会が実現するはずであった。
それが、時成らぬ時に性の試練で堕落した事になった。
原因を作ったのは天使長ルーシィフルであった。その天使長は神の怒りを買いエデンの園を追い出され以来、彼は闇の世界の大王となった。
そして悪魔サタンと呼ばれ悪霊の頭として地上界に神以上の影響力を持っ存在となった。

この世界の大抵の悲惨な事件は悪魔王サタンの指示で働く悪霊の影響によって引き起こされているのだ。最近起きた相模原障害者施設での集団殺人事件がそうであり、多くの悲惨な事件がそうである。
単なる精神を病んだ人間の凶行ではない。悪魔が指示した結果である。本当裁かれるべきは悪魔である。
しかし神は人間に自主性を持って善を行い、神の創造主としての喜びを感じ、それが人間にとっても喜びと成るように造られたので、人間の幸せも自身の成長に従ってよりよいものと成るように神は願われている。

さて、我が娘を犯す事は間違いなく罪である。
親子と言えどもお互いに神の子として育て、育てられなけばならない。そして親は信頼され尊敬される存在でなければならない。決して友達ではない。
父母を敬えというモーセの教えは不変であり全ての宗教で教えているのだ。それが社会の規範になる。

親は子を虐待してはならない。真の愛情で育てなければ
子は社会で生きて行く事は出来ない。